心からの距離と言葉の新生児
ブログって、誰か第三者に向けて書いているという体の、セルフセラピーなんだと思います。
完全に好き勝手書き散らすのとは、やっぱり重みが違う。言葉の跳ねっ返りというか。ぽーんと放った言葉の、残響みたいなものの粘っこさが違う。
ちょっとわからないよね。
まあそれはそれでいいんだと思います。たぶん今まで心地よいと思って散々書き散らしてきた言葉っていうのは、心から生まれて間もない言葉の新生児で、それらはあまり、書き手の自我めがけて反響してきたりしない。
ちょっとまた、煙に巻いた。
ので、このあたりの「言葉の種類」を分類してみる。こういうその場のノリで進めていく思考実験・思考遊びはけっこう面白いし、生産的なことしているような気持ちにさせてくれる。
そういう気持ちにさせてくれるっていう点において、セルフセラピーとしては何かしらの価値になっているように感じます。
言葉の新生児。心からの距離。その話。
① 心内語(あたまの中でごにゃごにゃセリフを述べています)
② 心内記述(思ったことをジャーナリングでリアルタイム実況した雑記です)
③ 独白(第三者に向けて語っている体で結局独り言です)
④ 表明(第三者に伝えるために整理され磨き込まれた記述です)
あまりきれいに整理しきれた感覚がないですね。
「心内」ときたら「心外」で区分したかったんですけど、「独白」っていうワーディングがすぽっとそこにハマってしまって。
まあいいか。まあいいや。
これ、僕は今まで②ばっかりやっていたように思います。
ちゃんとブログで意見表明して、考えを整理して、こう、「ザ・情報発信」している方々は大変な苦労をされていると思います。
それが自然とできるようになるといいなということで。
そこに向けて少しずつ言葉筋を鍛えていく意味で。
③寄りの、やっぱり②なんだろうな。でももっと、③とか④のような記事を増やしていきたいと思います。
やっぱり心から遠いところへ、本気で伝えようとする言葉って紡ぐのすごい大変だし、でもそういう言葉でないと、誰かへはきっと届かない。
届かなくても価値があるよ、なんて思うのは上述したとおりの、セルフセラピーとしての価値だけで、そこに責任はない。
届けること、に責任を持たれていない言葉って、すごくノイジーだと思う。
「うっわこのおじいさん述べてんな〜〜〜、ダダ漏れだな〜〜〜〜」
ってなる。
引いちゃう、どころじゃなくてうざい。
そうだ、無責任に「これは自分にだけ意味のある言葉なんです〜」って書き散らした駄文は、無価値なだけじゃなくて有害だ。
読む人をイラつかせる。
誰かに届くことを前提とした何かを、書くようにしないといけない。
なんでそうしないといけないかというと、そうしないと僕は有害なものを書く人間になっていくからです。
有害なものを書く人間は、有害です。
書いてみると思考が生まれる。僕は今こう思った。
「なんか違うな?」
って。
この「なんか違うな?」は言葉にしてみたいと思った。もし有害になるとしても。
有害じゃない、良い言葉って何か、を定義しようとしたらきっと「分かりやすくてよく整理・校正された文章」ってなると思います。一旦これで良しとさせてください。
この定義であぶれるものに、僕は価値を感じているようなのです。
なんというか、コンテンツとは全く別のところにあるもの。
---コンテンツ:中身、趣旨、言いたいこと、意見、ロジック、文脈
---デリバリー:表現方法、言葉尻、助詞、言い回し、行間、段組み
デリバリーだと思います。
同じことを言うにしても、もうちょっと素敵に、さらりとおしゃれに、盛り付けたほうが気持ちよくないですか。
たぶんそこの部分って、本質を重視する人にとっては余計でノイジーな修飾で、実際、余分な脂肪なんだと思います。極力削ぎ落とすべきです。ビジネスとか実務とか、「実」が絡んでくる世界では。
一方で、無駄が価値になりえてしまう「芸術」のワールドでは、ほんのささいな言い回しや句読点・改行にも市民権がちゃんと与えられる、と思うんです。
「思うんです」が「思うのです」でも「思います」でも「思ってます」でも「思うんだ」でもないとき、そこにそれだけの味わいの違いの認められること。
認められるワールドで、言葉を書きたいなと感じるのです。
僕はそこの味わいの、使い分けがなんとなく好きだからです。
かっこいいな、とかイケてるな、とかつよいな、とかいろいろ感じるのです。
そのようわからん感覚質を、宝石のように大切にしており、その宝石がそれなりに価値を持つ場所で、言葉を編んでいきたいと思うのです。
ここまで書いた今、マトリクスを作ることができ、そうすると思考遊びは一定の成果を得たと言ってよいと思います。
[心からの距離が近い] --- [心からの距離が遠い]
[コンテンツに価値] --- [デリバリーに価値]
この四象限を考えるのは楽しそうですね。
ビジネスでは、「心からの距離が遠い」言葉が使われていて、「コンテンツに価値が認められる」というワールドですね。
出版物の小説だと、「心からの距離が遠い」言葉(他人が読めるようにきちんと整理されています)で、「デリバリーに価値が認められる」というワールド。
誰にも見せないオリジナル小説やツイッターの呟きは、「心からの距離が近く」(だから自分以外には有害)、「デリバリーに価値が認められまくっている」とかいうワールド。
そうすると最後の一象限はどうなるでしょうか。
「心からの距離が近く」、だから自分の思ったまんまを書くわけですね、あるいは思うだけの心内語であってもよくて、かつ「コンテンツに価値がある」というワールド。これ、思考そのもの、ロジック、だったりするのかな。人に理解させるつもりはないし、他人と同期も取れないけど、自分では納得している論理、みたいな。
ふんふんふん。
ワーディングを磨けば、もうちょっとマシな整理になったろうと思います。
今度また、他人のつもりで読み返してみようと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。