大学卒業とペルシャ絨毯と寂しさの話

今日東大を卒業しました。教育学部に入って、自分の努力とか選択に完全に満足できたわけではないけど、教わることができて良かったなって先生が二人います。

一人は図書館情報学のK先生で、もう一人は他大の美術教育専門のK先生。
イニシャル被ってるわ。

図書館情報学のK先生とお話しした。
学科の卒業証書授与のあと、「ペルシャ絨毯に興味がある人はこのあと研究室に来て下さい」って。

行った。
前もこういうふうにして、研究室にノコノコついてって、長いお話をいただいたことがある。卒論の中間発表のあと質問したら長引いて、それで。

K先生は正しい。
全部のことについて、僕が正しいと思う精度で、正しく正しい。
そして今日聞いた言葉がまだ反響していて、

 

「寂しい」

 

と。
やっぱりそうなんだ、やっぱりそうだよね、僕も寂しいし、寂しくなるんだね、その寂しさは一人異国に放り込まれたようで、チリもない孤独宇宙を漂うようで、それは、僕の共感を遥かに超えて、なんて寂しいんだろうと思った。
それで僕は、「やっぱりそうなんだ!」と「なんて寂しいんだろう」を抱えて、ちょっとその場でクルクル回転した。

目をつぶってたけど遠心力で涙が余計に滲んだ。

「一つずつ追えばいける」
「頭が良くなるとスッキリする」

とか言ってた。「一つずつ追えば」はその通りだと僕は思っていたし、思っていたようにK先生も思っていて、その符合に感動した。
「スッキリする」は安心した。それでOKだよね、って。

色んなことを聞いた。
ペルシャ絨毯の順目逆目の見方とか、畳み方とか、ダブルノットとシングルノットの堅さの違い、クルクウールとシルクの肌触り、とか。
行列の積の4種類の異なる描像とか、死刑制度の論理的不可能性とか、寂しさとか。

 

「内緒ですからね」

 

って言ってた。
ほんの一瞬口を滑らせただけなんだけど、ああやっぱりそうなんだーーーつら!つらすぎ!それ怖すぎ!
って。
何度も反響してる。

 

そりゃ、偉大な先人たちと語らいたいよな、って思った。
マーガリンとアミノ酸とシュ?シなんとか?なんだっけ……砂糖に関係する何かだったと思うんだけど、それが入ってる食べ物以外なら差し入れOKだって言うから、働き出してまた何年か、何ヶ月かしたら挨拶ってことで話を聞きに行こう。

聞きに行こうと思います。

ショ糖だっけ?なんか違ったような。なんだっけ。